一年前から、うっすらと。
こちらの本、一年前ぐらいに買ったのかなぁ。
魂友の圭ちゃんが、TOLAND VLOGと一緒に教えてくれて買ってはいたのだけど、当時は自分の感覚がマインドofマインドで読めなかった。
今回、NZ旅行が決まって、出発1週間前ぐらいに、そういえば!と思い出して取り出してきたのだった。買ってからずーっとね、枕元に置いてたんよ。お待たせしました🐉
出発2日前。奥さんと夕食を食べながら視聴。感想は、、、内容を忘れてないはずだけど、忘れてしまった。でも奥さんと一緒に見れて良かった。
空港へ向かう道 友との電話
NZフライトの前日に圭ちゃんからメッセあり。電話しようぜ、と。
成田空港へ向かう道中電話。
タイミングがドンピシャ。シンクロって言っていいよね😆
秘密会談をしながら、空港へ到着。虹のお出迎え。(写真真ん中)
記録のままに。
行きの飛行機で没頭する。
おおよそ読み終わる頃、手帳に書き殴った文章をそのまま載せておく。( )は、写しながらの追記。
20241030 @ NZ90 (帰りはNZ99)
テポロハウ長老・中谷さんの対談を通じて、2年前の自分では受け取れなかったメッセージ、感じるあり方、身を委ねるということとは、、、
純なる自然の中に秘められた龍たちのメッセージ
彼らは、常に私たちと共にいる。
私たちは、常に彼らと共にいる。
私のアシュタールジュエリー(テーマは「魂の雄叫び」)が、輝きを失い、鈍くなっていたのもわかる気がする。
そう、私は彼らを、自分を信じられていなかったのだ。
言葉で、表現でそれを言ってみることはあっても、それは憧れであり、期待に過ぎないものであった。
感じる心。それは内なる問いであり、世界に心を解き放つことでもある。
不安を手放せ。あなたは常に守られている。常に満ち足りている。1人で抱え込むことは必要ない。常にあなたを見守っている。
そう、彼らは私たちを助けたくて、深いつながりを取り戻したくてたまらないのだ。
己が何者でもないと思い込まされてしまっているウチは、沸き上がるエネルギーを使いこなすことは難しい。
全てが、光と愛の結晶であると、魂が知覚するところから、新たな、否、本当の人生が始まるといえるだろう。
人は何度でも生まれ変わる。
魂の旅路は永遠で、今こうしてNZに向かう私もまた永遠なのだ。
刻の巡り
それはひとところに留まるものと、常に流れ続けるものとが入りまじり、その流れの渦がかけがえのない一瞬として目に映る。
魂のささやき
その渦の眩さは、いつかみた星空の輝きでは表すことのできない、煌々とした輝き。
私たち、一人一人の内なる太陽は、あの目もあけていられないほどに、私たちを照らす太陽よりも遙かな可能性を秘めている。
一人の覚醒が十万人に影響を与えると誰かがいった。正に!だ。一人一人の太陽の輝きは、十万もの魂に共鳴する。
人は生きている。人は尊い。人は本質において神であり、創造主なのだ。
ああ、完全に自由な時代が幕をあける。扉を開こう。魂の扉を開こう。
今がどんな状況であれ、その扉を開けた先は眩い可能性の光が私たちを待っている。
黄金の龍と共にこの星に降り立った民族よ。
そなた達がこの地球の雛形なのだ。
想い出せ。その誇りを、気高さを、真実を見極める観を。
私たちの目に映るもの全てが、あるいはまやかしなのだ。
私たちは真実を感ずる目を閉じているが故に、盲目の、無知なる下等生命体を演じているに過ぎないのだ。
目を覚(醒)ませ。魂の目で、曇りなき眼で世界を捉えよ。それは本質をありのままに見つめる眼だ。
耳を澄ませ。魂の耳で、静寂の先にある愛のエネルギーが爆ぜる音を聴け。
鼓動が高なる。ああ、俺はこの星を生きている。
このを星を蘇らせるために、否、新たな次元に進むために生きている。
その手で、愛する人の心臓に触れてごらん。
その鼓動の震えが、私に語りかける。
脈打つ。ドクンドクンと脈をうつ。
母なるガイアの鼓動はいかに?
かつてこの大海の底に沈んだ文明に、飛び立った魂の、蘇った魂の旅の終わりが近づいている。
ああ、スピリットジャーニー。この星にあった文明の名残。
この身体のただれは、まるで地球の叫びなのか?
そうであるならば、吉。全ては常に善なる方へ加速している。
全ての興りは、導きは、最高最善であり、私はゆくてを委ねよう。大いなる導きに。
心のときめく方へ。一瞬一瞬が輝く方へ。
写し終えてみて、へーこんなこと書いてたんだ。って感覚ですね。まだ2週間と経っていないけど、その後の加速度はグッとくるものがある。
先に書いた2本の記事。思へば、行きの飛行機で、こんなこと書いていたよねというのは、うっすらあったものの、、、なんというか、最高の時間でした😆
その後、時(暦)に関するアップデートが発生中。これについてはまた別の記事で。