人間の究極の娯楽は『自然と作り上げた無作為の作為』
そこに感動が生まれるというのが妙だ。
自然は自然のみであれば、或いはエントロピーの法則にのって朽ち果て乱れていく。その生死を持って生命は進化を続けていくが、崩れたバランスの中には感動は生まれない。手を抜いたものにも感動は生まれない。
だが、この盆栽の在りようはどうだ。
朽ち果てゆく、枯れた存在と しぶとく生き抜こうとする力強さ。
自然にもなしえぬが、かけ離れてもいない佇まい。無作為の作為。
近頃AIの進化も著しく、いよいよホワイトカラーに属する仕事の大凡が秒で片付くようになるのだろう。
時間の空いた人々は何を求めるか。デジタルの創造に飽きた人は何を始めるだろうか。
まさに自然との共存共栄の体験であろう。
生命体としての人間が、五感で、六感で自然の一端と戯れる。戯れてみたくなる。
精妙なる自然の霊魂も、人間の創造主としての感性に触れる時喜びを感じて応える。
そこで、仕事の話になるが十方よしの世界を想像するとき、何をつくる事に喜びを感じるだろうか。
盆栽作家小林國雄氏のように、10年、20年、100年かけて出来上がる作品のように、無作為の作為のように努めたいものである。
さて、それはどのような生き方なのであろうか。
世代を超えて、命を育んできた海森田畑。
祈りの中心となってきた神殿。
唄と踊りと火と水と。
日本の古き良き伝統文化の中にこそ、時代の過渡期だからこそ、なおのこと取り戻したい知恵があるように感じるのである。
それにしても、この電車の運行の緻密なことよ。全く手を抜く事なく、今日も何万人もの人々を運んでいる。有り難し。
玄氣-GENKI-